人物編の最後です…。
私にとって『宇宙戦艦ヤマト』という作品が理屈以前の問題で、血となり肉となってしまっているので、改まって何故、どこが好きなのか、と問われるのは、何故日本が好きかを問われるようなもので…。強いて云えば、それを観て育ったから、それが人生の一部だから…でしょうか…。
そんな訳で、森雪のところでもちょっと書きましたが、実は森雪と同じく、原作の主人公の古代進という人物も別に「好き」とか「憧れる」とか、そういう存在だったか、と問われると明らかに「否」でした。あくまで物語の進行上のパーツの一部、というと云いすぎですが、自分勝手な正義感を振りかざした短気で短絡的な性格でその上に偏屈なところまである人物は、「嫌い」、とは云わないまでも「そんなに好きでない」人物でした。原作で一番好きな人物は?と問われれば、悩みながら技師長かな、と答えてそうです。
そんな古代進でしたが、歴代の作品で初めて好きになりました。年齢設定が上がって(明らかに視聴対象年齢も上がって)子供っぽい身勝手さがなくなったとか、精神的な不安定さがなくなったとかもありますが、最大の理由は木村拓也さんの演じる古代進の等身大さ、かも知れません。
まず、なんていうのでしょうか、原作では時代を反映していたのか、あるいは表情の本当の機微や細かい仕草までは表せないアニメという表現方法の限界なのか、ひねくれ方などにも何とも云えない違和感があったのですが、今回の実写版ではそれを木村拓也さんが見事に演じてくれていました。まぁ歴代の作品を観てもそうですが、この人はこのキャラ設定しか出来ない、という言い方も出来るかも知れませんが…。また、そのキャラクターにぴったりの人が、少なくとも今の日本映画界で間違いなく最大の集客力を持つ人であり、しかもその人が原作のファンであり、そしてそのキャスティングが実現したのはもう全ての方に感謝!!としかいいようがありません。キレイ事云っても、この人がメインキャストでなければこれだけのVFXとコマーシャルを投入できなかったでしょう。
あとは、以前にもちょろっと書きましたが、さらばの「違う!!断じて違う!!宇宙は愛なのだ!!」辺りからの古代の力説する歴代の台詞が少々宇宙愛という個人的に何だか分かったような、分からないようなものに傾倒してしまって(そのくせここの行動は結構それと矛盾している)、なんていうんでしょうか、イマイチ感情移入できなかったと云いますか…。それに対して今回の古代はそういうよく分からない愛ではない、少なくとも私にも共感できる愛や正義感だけに生きた、ということでしょうか。確かに愛や正義感のレベルは非常に高次元なのですが、自分が実行できるかどうか、ではなくてそれが至高のものとして納得できるか、という点ですんなり入ってきました。上と絡みますが、木村拓也さんが主演、ということで多くの原作ファンが恐れた、原作とは似ても似つかぬ恋愛メインのドラマになってしまわないか(男の熱いドラマでなくなってしまわないか)、という心配も杞憂に終わり、それにはプロデューサー、脚本家、監督にも大感謝です。
…二日かかりで原稿書いてますが、書きたいことが山ほどあって一向に纏まりません。
勿論原作あって…ですが、兎に角少なくとも私にとっては富山敬さん演じるアニメ版を遥かに凌ぐ、歴代最高の古代進です。
いや、細かいところはあるんですよ、「波動砲」のイントネーションが富山さんと違う(あと沖田艦長の「非常弁全閉鎖も気になる…」)、とか、(進行上不可避とは言え)何故そこで森雪と…とか、そもそも地下都市で何してたのとか…メイキングビデオでの「戦闘班」と「攻撃班」のいい間違いとか…